イラスト 〈閉会のあいさつ〉 イラスト

本日は、お忙しい中、また、お暑い中これだけ沢山お集まりいただいて本当にありがとうございます。これにて本日の「地域に広がれ!医療的ケア」連絡会の結成集会のすべてのプログラムを終了させていただきます。 最後に連絡会会長としてみなさまに一言お礼の言葉を述べさせていただきます。

私は、この東大阪支援学校の中学2年三上萌の母です。この度、未熟ながら会長を務めさせていただいております。
萌はほんの1年前までは、重症心身障害児でありましたが、3年ほど前の左足股間節脱臼で体調が悪くなり、飲み食べが痛みの為に段々出来なくなり、体力が低下してきて呼吸さえもなかなか思うように出来なく、タンを出す力も無くなり、とうとう小さな命をつなぐために医療的ケア児になりました。

親の私が、なかなかその事実を受け入れることが出来ないと言うのに「手術後の医療的ケアは親御さんがしていってもらわなくてはいけません。」と言われて泣きながら震える手で、萌の世話を始めたのを鮮明に覚えています。
お医者さんや看護師さんは「簡単ですし、これをお母さんが出来なければ萌ちゃんは生きていくのが困難ですよ。」と言われましたが、痛みで泣いているわが子の世話は想像よりずっと過酷なものでした。私はとうとう自分に自信を無くし、子供を育てるのも出来ないと思いこみ毎日泣いて暮らすだけの日々を送っていました。学校に行く気力さえもなくし、ただただやりきれない気持ちをどうすることもできませんでした。

そんな中、今の仲間が「大丈夫!1人じゃないよ!一緒に悩もう!」と声を懸けてくれ、前回の「わかってほしい!私たちの事」医療的ケアを考えるシンポジウムに参加させてもらいました。「私と同じ苦しみを経験しながら泣き暮らす人を減らすためにも、やりたい!」その時はそう思いました。

医療的ケア児がヘルパーさんの利用のし方すらも変わること、訪問看護師さんの利用が難病でないとなかなか受けれないこと、その上卒業後は在宅の道しか殆んどないことなど「医療的ケア児」になって初めて知った問題が山ほどあり、少しでもこれから後に続く子供たちの為にも今一度みんなで「地域に広がれ!医療的ケア」連絡会を立ち上げ、また、かつて萌がそうだった「重症心身障害児」の子供たちも、他の重度の障害を持った子たちも同じように卒業後の行き場を模索し苦しんでおりその子たちも共に自分達の人生を普通に楽しく送ることのできる社会に少しずつでも近づけるように願いこの活動を仲間とともに頑張っていきたいと思います。

最後にこんな私達を、全面的に応援して下さる東大阪支援学校の校長先生始め先生方、ドクター、事業所、福祉関係の皆さんいろんな方々に本日は心からの感謝とこれからもどうぞよろしくお願いします。という気持ちをお伝えするとともに今日参加して下さった方々へのお礼の言葉にかえさせていただきます。そして今、皆さんとともに小さな第一歩を踏み出したいと思います。本日は本当にありがとうございました。

 

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